三輪山に登る

三輪山に入山をすることを決めたのは出雲大社への参拝を終えた頃だ。
参拝を重ねるなかで三輪山への印象が変化してゆくのを感じていた。
畏怖の念をどこかに感じた初参拝。
その後数度足を運び、山辺の道を歩くようになる頃には印象は大きく変化していた。
斜面にある摂社、末社をめぐり歩けば木々の表情は陽性なもので軟らか。
久延彦神社の木々の合間に見える三輪山の姿に優しげなものを感じるに至る。

三輪山への入山は午後の2時までとなっている。
その日の出足は遅かったものの急ぐ事なく三輪山に向かい歩く。
荒御魂を祀る狭井神社にて入山の申し込みをする。
入山への心得を神官の方にレクチャーしていただいた。 
思うより多くの規定があったがそれは聖地への信仰の深さを表しているようで感心すら覚える。
入山者との世間話は禁じられており山は祈りの空間としてあるようだ。
神と巡礼者という2者の関係性が尊重される在り方はありがたいものである。

聖域に入って以後に山で体験したことは口外することを禁じられている。
それは参拝者と三輪山との約束と言える。
山の神聖を感じる者が参拝する故にその約束は破られることはおそらく無く、
約束は聖域への信仰心として記憶の片隅であろうと確かに残り続けるものだろう。


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高野山 奥の院

紀伊山地の深山を走り高野山を目指した。
深山幽谷とという言葉は大げさな言い回しであるが、
車やバイクでの紀伊を走れば実感を持ってその意味を感じることとなる。
大きな山が在る訳ではないが人が住み着く事を拒むだけの高さと険しさを持つ山が果てしなく連なり、
遥か南の太平洋の縁まで広がる。
十津川辺りの山民は平安の頃より山民として中央にその存在を知られて来たが
稲作には不適な土地である事は当時の役人の目にも明白であったようで
年貢を出す代わりに狩猟により磨かれた弓を腕を見込まれ兵役によってその土地の自治権を守ったと言れる。

今回訪れた聖地は空海が816年に開いた高野山である。 
世俗と隔絶した深山幽谷にある土地をあえて選び宗教都市を作り出したのだろう。
仏教を広める場として東寺があり仏教を極める場としての高野山はある。
内と外へこの国に仏教の深度と広がりを構築してゆく空海の思惑があるのだろう。

山深い道を走り抜けると視界が開けた。 
そこに朱の大きな山門が姿を現わす。  
急勾配の崖から西空を向き場違いとも言えるほどに大きく、鮮やかな朱の門構えが山の緑を背景にしてよく映える。 
山門は西に向けて開き、まるで西空からの来訪者を迎えるかのような立ち方をしていた。
深山幽谷の険しい道のりを越え訪れた者にとってこの山門の与えたであろう印象は想像に容易い。

山門を超えると仏閣と坊の並ぶ宗教都市の中に入る。
視界の多くを占める仏閣の隙間を埋めるように土産物屋や宿場が散見され、海外からの観光客の姿も見かける。
その日の目的地が奥の院としていた。 
空海の入廷した奥の院こそが宗教都市高野山の中心であろう。

真言密教および日本仏教の軸に在る空海。 
空海は62歳で自らが開いた宗教都市、高野山の奥の院に入定し
即身仏となる。空海は今も生き祈る存在として日に2回食事が給仕されるという。
眉唾ものの逸話として聞き流していたが、
東寺などを歩く度に空海は或は今も生きていると感じていた。 
医学的な意味は捨て置き、即身仏となることで念のようなものが昇華、保持され
余韻のように今もこの世界に響いていても不思議では無い。
空海は今も形を変え生きていると信じるが故に私は奥の院へ訪れたとも言える。

奥の院への山門をくぐると無数の墓地が並ぶ。 
企業系のユニークな形をした大きな墓のあるエリアから巨樹が立ち並ぶエリアに入ってゆく。
巨樹の作る木陰は深く、昼間ではあったが石灯籠の光は確かに道筋を照らす、潤ったような闇の質感がある。
奥の院までの道沿いには織田信長や徳川家、豊臣家、武田信玄など歴史上の人物の墓が並ぶ。  
天下人となった豪傑が墓に収まり、行儀よく並ぶ風景には不思議さを感じもする。
おそらく、あの世にはあの世の別の決まりがあるということだろうか。

灯篭の列の先に奥の院が見える。シンメトリーなお堂が潤った森に静かに佇む。 
階段を登り社殿に入る。 
天井には多くの提灯が並びぼんやりとした光で黒い柱や梁を照らしている。 
夜のようでもあり洞窟の中のようでもある。墨のような闇の作る静寂の空間がある。
蝋燭の先にぼんやりと見える空海の入定した祠に手を合わせた。

社殿を巡ろうと廊下に出ると鮮やかな緑の色彩と光に包まれる。
オレンジ味を帯びた斜光が緑の苔に覆われた幾重もの巨樹たちの緑を透かし乱反射するように弾け輝いていた。
夜を思わす暗がりから一転して生命の息吹溢れる光の溢れる情景には圧倒される。

山々に四方を囲まれ、蓮の花のような地形をしているという高野山。
奥の院という社殿自体とはその中心にある蕾のような存在であろうか。
蕾の中心にある闇の中で空海は今も念を発する。
即身仏となることでこの瞬間も真理へと深く迫り研ぎ澄まされてゆく。
蕾の周縁から放射される光のエネルギーは社殿を取り囲む巨樹の森に広がり、
蓮の花弁となるように溢れる生気は森に瑞々しい潤いを木々に与え命を輝かせる。
中心にある闇に向かう意識は同じ圧力で放射する光として外側に放射解放され、
意識は光あるいは風として自在にこの地より世界を巡る。

中心の闇へと向かう蕾の内側への圧と周縁に放射される花弁の光。
中核にある陰と周縁を取り巻く陽という陰陽二元調和の場を思わせる。
宗教都市高野山と奥の院は仏の宿る蓮の花をイメージさせた。

日の暮れる前に足早にいくつかの坊を巡ったのち帰路につく。
夕空のオレンジ色の斜光が大門の朱の色を鮮やかに染め上げているのを見届けつつ山を下った。

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能勢妙見宮

関西エリアにおける妙見菩薩信仰の中心と言える能勢妙見宮へと向かう。
亀岡からの能世へのルートを進んだ。
オートバイのヘッドライトカウルには青空が映る。
その下半分のスクリーンには山道の深い緑と黄色味を帯びた田園の色彩が映し出され流れ去る。

妙見山への道路表示に沿って鳥居をくぐり抜け曲がりくねる山道に入る。
しばらく走ると山の中腹にある駐車場がありようやく視界は開ける。
鳥居の背後には尾根に連なる参道が見え、その先に格子とガラスで構築された建築物が見えた。

駐車場は思うより広く奥の方に行くと大阪湾と淡路島を見渡すことができる。
亀岡から20分ほどの場所で大阪湾、淡路島への遠景を捉えることができるとは不思議な感覚である。
視界に広がる淡路島や高野山方向からもこの妙見山が見えるという事だろう。
高野山エリアから見れば妙見山は北極星を指し示す峰となるのかもしれない。

紅葉時期は随分前に終わり木々の枝先には青空が透けて参道は日向があった。
左右に青銅の新馬の像が出迎えてくれる。
2対2組の4頭の青銅の神馬。そのうちの一頭が特に気にいった。 
威風堂々とした立ち姿。表情には微かに笑みがある。 
人以上に上等な品格と魂を備え持つ神馬といった風格が感じられる。

能勢妙見宮の成り立ちは妙見山に行基が北辰星を祭る、大空寺を開いたのが始まりとされる。
妙見菩薩を祀るようになった時期は徳川の頃かと推察したがより古く鎌倉,平安時代にまで遡る。
鎌倉以後は能勢藩のからの熱い信仰を受け関西随一の妙見信仰の地であり続けているようである。
以前訪れた星田妙見宮とさほど距離は遠くはなく接点が拾えないのは不思議にも思えたが、
仏教的妙見菩薩を祭る能勢妙見宮と神道的アメノミナカヌシを主祭神とする星田妙見宮の立場の違い故であろうか。
妙見信仰というものの形も成り立ちも多様で一筋縄とはゆかないようである。

山道は南側から山頂に向けた上り坂を登り、
山の頂にある山門をくぐると北面に下る階段を降りた。
北極星信仰ゆえに御神体は北天に在るということで在る。
冬の頃には日差しの熱がありがたいものでは在るのだが頑なに北面に社殿は並び、
凛とした山の冷気に包まれている。 
妙見菩薩を祭る開運堂、祖師堂に手を合わせた後,
絵馬の掛かる妙見大菩薩堂に入る。
そこから遠く北に見渡せる展望が開けていた。 
そこは北天に光る北極星への拝殿としての空間と言える。

青空の中、その光を見ることはできないが動かざる星として定位置に北極星はある。
見えぬのだがある。 金子みすゞの詩を思い出させもする。
山頂にて青空の中の目には見えぬ北極星を探し、祈るという行為には
原初的信仰とも言える感覚があると言えはしないだろうか。



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posted by Maki at 09:19Comment(0)日記

出雲大社 島根

台風と酷暑が交互に訪れた今年の夏。 

幾らか気温が落ち着いた頃合いを見て念願であった出雲大社へとオートバイで向かう。

京都を起点とする山陰本線9号線は島根の出雲大社まで続きその先には関門海峡を望む下関まで続くという。

京都から西に向かい、亀岡、福知山を抜け鳥取から海沿いを走れば出雲にたどり着くであろうという旅の大まかな地図。

バイクの旅は細かい計画を立てずその時々の気分に合わせ気の向くままの方向に走る。

おそらくその方がより安全で思いがけない発見に出会える気がしている。


空冷V型エンジンに火を入る。2日間分程度の着替えを詰め込んだリュックをトップケースに放り込み、

日の沈む方向に在る出雲の国に向けて走り出した。

連日異様な暑さが続いていたがその日の風には秋の透明な香りを微かに感じもした。

亀岡で渋滞に出くわすものの福知山を抜けてゆく流れは良好で予定通りのペースで鳥取エリアに入る。

鳥取砂丘を横目に日本海沿いの高速道路を走る。 

しばらく走ると左の視界に見事な山容を見せる大山山系が現れる。

尾根の連なる剣ケ峰と円錐型の山容を持つ大山の存在には気高さと威厳を感じるものである。

東海道を見守る富士のように日本海岸沿いに続く都市を見守るような存在であろうか。

大山は中国地方の最高峰であり日本海側では伯耆富士と言われるようだ。

日本海を西に向かえば伯耆富士が旅人を迎えその先に黄泉を統べると言われる出雲大社が在る。

山のふもとにも大国主を祭る大山神社があるというから立ち寄りたい気になるのだが、

今回の目的はなにより初参拝となる出雲大社である。 スロットルを開け日本海沿いの道をを西に進む。


米子から海岸線を走り抜け中海と宍道湖2つの大きな汽水湖の湖岸を走る。 

松枝は思うより都市化が進んでるようで亀岡以来の交通渋滞に悩まされる。

湖の上をコナン空港を離陸した飛行機が低空で飛んでいるのが見えた。 

幹線道路の規模に比べて車の利用台数が多いエリアにあるタイプの渋滞であろう。


出雲市に入るころには開けた都市的な風景から日本の原風景的な田園と漁村の織り成すそれらしい風景を見せてくれる。

出雲大社への初めての参拝。近づくにつれてなぜかしら緊張感を感じもした。

聖地との邂逅。それは遠い親戚のおじにでも会いに来たようなそんな気分に近い。

神社と参拝者には相性があるもので多くの気づきや発見を与えられる時空に出会うこともあれば時期をずらした方が良かったと思う事も在る。

湖岸線を離れると出雲大社の表示が見え始める。

空の半分に雲がかかっていたが出雲大社のある半分は晴れていた。

その頃は台風が列島に接近していたこともあり天気は下り坂の方向にあったが、青空が広がる。

ご神体である八雲山を視界に入れたとき感じたものは感動と安堵であった。駐車場にバイクを止め、ジャケットをトップケースにしまう。

晴れ間はいよいよ空全体に広がり青空は澄んでいた。 高台にある鳥居をくぐり参道を行く。

出雲大社の参堂は本殿に向けて下り勾配である。

キラキラした陽光と涼しげな風に包まれる。

緩やかな傾斜の参道を歩く。安堵感やリラックスした感覚に包まれたせいなのか幾らか眠気を感じもした。

青い空を背景にご神体である八雲山の緑は輝き揺らめく。出雲の神奈備山としてあり山頂付近には突き抜けるように立つ神木が見えた。  

瀬尾律姫を祭る祓社にて清め参道を下ると視界には大きなしめなわを掲げた拝殿が視界に入る。

出雲造の建築は中心に柱を配置することもあって拝殿はアンシンメトリーな形をしている。

意図的かはしれないがその背後にある出雲の本殿を隠す。 

八百万の神を祭る社が左右に配置され出雲大社の主要な構成要素としてあるように見受けられた。

八百万の神という多神教の観念は縄文より続くアニミズム的な観念として此処出雲大社に受け継がれてきているのだろう。

主祭神は大国主命

客坐にアメノミナカヌシ カミムスビノカミ タカミムスビノカミの造化3神にクニノトコタチノカミ ウマシアシカビヒコジノカミ を祭り天地開闢の神々を配置している。

拝殿で出雲特有の参拝方法である2礼4拍手の参拝をする。 

本殿左側の末社へ向かう道にてようやく本殿の全容を拝見することができた。

神殿は確かに巨大な神殿作りで構成される。簡素であり直線的。

その重厚な作りには城や蔵のような印象も受ける。 

その昔は50メートルあるいは100メートル近い高さがあったという。

100メートルを上る階段が鳥居より背後にある神山の八雲山を背景に立ち上っていたということであろうか。

参道が下り勾配であることも特徴的だがかつての神殿の姿とは参道より長く高くまで延びる登り階段、参道が構えていたことになる。

2つの傾斜の作る意図に思いを馳せる。

上部と下部の2方向に傾斜する通路といえばクフ王のプラミッドの内部構造を連想させる。

天界と地上、黄泉の国を繫ぐ通路としての神殿という意図(デザイン)であろうか。 

客坐におられる錚々たる天地創造の神々の存在にこの神殿に込められた意図の深さを感じもする。

大国主は幾つかの戦、力比べの後、この国を想い俯瞰しヤマトに国を譲った。

八百万の神という多神教的な神の在り方が成立するのであれば相互補完的に神々は共生し、

脳の構造のように内側に入るほど古き時代の構造がありそれは不可欠な要素として機能し上部構造を支える。

左右に配置された八百万の神に手を合わせ出雲大社への初参拝を無事に終えた。


出雲の地で一泊したの後、帰路に出雲大神宮のある亀岡を走る。

暮れだした空の中に美しい虹を見つける。  

虹の足は亀岡の町に接していた。

斜線のような虹は階段のように空から街に降り立つように伸びている。

出雲で想像した神殿から天界へと延びる階段のイメージと重なった。

おそらくはあの斜光の下に出雲大神宮がある。

時間は既に6時を過ぎていたが帰路のルートを変更し出雲大神宮に立ち寄り参拝をする。

参拝を終えると美しい夕空があった。

深みを増してゆく青空にオレンジとピンク色の雲が作るコントラストに空が染まる。

出雲への初参拝の旅は上出来で締めくくれたよう思えたのだった。


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出雲大社の空間配置とピラミッドの空間構成を重ねた空間を見てみたくなる。
出雲大社の平面構成を基にピラミッドとの相似する立面構成を掛け合わせた空間スケッチを描く。

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posted by Maki at 22:41Comment(0)日記

星田妙見宮

星田妙見宮は奈良、大阪を切り分けるようにある生駒山からの山の連なりの中にある。
訪れた季節は初夏の頃で磐船山に近づくと山から若葉の薫る爽やかな風があった。
春に芽吹いた広葉樹の若葉が見せる明るい色調に覆われた山容に愛らしい印象を受ける。

住宅街を通り抜け木々に覆われた細い道をしばらく進むと星田妙見宮の鳥居を見つける。
鳥居の横には馬をかたどった石碑が置かれている。
サックリと彫刻された馬の造形にオリオン座馬頭星雲を連想させた。

木々が作る緑の中を抜けてゆく参道。 
天井を支える柱となる木々の背は高く風と光が通り抜ける。
鳥のさえずりが耳に心地よい。 
特に美しく響く鳴き声は変則的な抑揚を持つガビチョウのものだろう。
見栄えも名もパッとしない鳥なのだがそのさえずりだけは抜群に美しい。
2つ目の鳥居をくぐりぬけると参道は山道に入る。
割に斜のきつい階段を上る。 

尾根をなぞるように在る階段の先にようやく本殿が見えた
視界が開け大阪から京都までを視界に入れる展望が広がる。
新緑を揺らす風とその先にある青空。 
風の質感にどこか遠くからの風を思わせる。 
付近を循環する風ではなくもっと遠くから届いた風といった趣があるものだ。

星田妙見宮は北辰妙見大菩薩を祭るとともに
主祭神としてアメノミナカヌシ、タカミスビノオオカミ、カミムスビノオオカミの造化三神を祭る。
空海が獅子窟寺吉祥院で秘法を唱えると北斗七星より3つの星がこの地の降りたと言われる。
聖徳太子によって日本に初めて北辰祭祀の天神を祭った場でもある。

本殿の奥には磐座が鎮座している。
磐座は球体を思わす曲線的な形をして山頂に在る。
岩盤の上に薄い皮膜のように木々の植生が覆い山頂には天を睨む磐座が鎮座する。
足下にある山の岩盤と天空にある太陽、空と間にある太い繋がりを感じもする。
それは平面的な繋がりではなく垂直に立つ軸のような繋がりだろう。
造山運動や水や風による浸食などの水平からのエネルギーの力で生まれた地形との違いだろうか。
それというもの星田妙見宮の地はかつて巨大隕石が落下した場であるのは歴史的な事実のようで、 
弘仁7年西暦816年の衝突によって山はクレーター状の円環の形になったという。
山の尾根づたいの参道とはクレーターの淵を歩いてきたようである。

その彗星の名はスイフトタットル彗星といい、
1200年周期の大きな軌道を持ち太陽系を巡っている。
600年後に再び地球に接近するというから時間的時間的なスケールが大きい。
今も太陽系外の虚空を走る彗星と山頂の磐座の間には不可視な繋がりがあるのだろう。

地球には常に宇宙からの落下する微細な塵が降り注いでいるという。
その春風に太陽系外より巡ってきた風が混ざってても不思議ではないだろう。

星田妙見宮は古来より在る北極星や北斗七星を祭る星への信仰の起点ともいえる聖地であった。


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posted by Maki at 11:30Comment(0)日記